被災地

2016年03月11日

あれから5年

3月11日今日は東日本大震災の日です。
あの日はイオンレイクタウンにいました、揺れを感じて現場の作業員さんの安全確認を
して帰社。

帰りの車で見たテレビでの津波の映像がものすごかったです。

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昨年岩手の宮古町まで行き、被災地の復興や被災した状態での建物などを見て
来ました。

復興までは、まだまだ時間がかかりそうです。

あの地震が起きてから、一人一人の考え方は変わったのでしょうか?

効率の世の中から、助け合う世の中になったでしょうか?

会社経営をさせて貰って色んな事を感じております。

生きている事に感謝をして、人間的成長を第一にこれからもがんばりたいです。



yosidadenkou at 13:22|PermalinkComments(0)

2015年07月14日

宮古市から山田町を見てきました。



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7月10日(金)中同協主催の定時総会終了後、宮古市と山田町に行ってきました。

レンタカーを借りて2時間宮古市に到着。

到着時間が17時前だったので、浄土ヶ浜まで足を運びました。

ご覧の通りの景色です、遊歩道は震災後綺麗に整備したようです。

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夜は近くのお店で食事会でした、株式会社 ホウユウの太田社長が宮古市に支店を出していて、
そこの社員さんとライバルの有限会社 高中板金工業の高橋社長、大先輩で目標としてる社長
トマル電気工業株式会社都丸社長と懇談会です。

都丸社長が会社に戻って2代目経営者になる前、なった直後のご苦労が聞けたのが
凄く貴重な体験でした。

「完成形に近い経営者でも苦労した時期があったんだ」と改めて知ることが出来ました。

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翌朝はランニングです。

最近遠出をした時は必ず朝走るようにしています。

今回は被災地で津波被害があった所を走りました、何とも言えない気分でしたね。

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防潮堤の一部はかさ上げを始めてました。

早く完成するといいですね。

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朝食後宮古市内を見て回りました、田老町には被災した観光ホテルがそのままになってました。

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このホテルは取り壊しをしないで、保存する工事を行うようです。

記憶にとどめておかなければならない事も、あるでしょう。

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近くに三陸鉄道田老駅があり、無人駅なので中に入ってみました。

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開通を喜ぶ書置きのノートが4冊ありました、皆少しでも被災地のそばに心は
いる必要性を感じました。

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田老町ではメガソーラーでの被災地再利用なども始まってました。

また津波で家が流された後手つかずの土地もありました。

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お昼によった宮古市の水産加工センターです。

写真で見ると当時の津波の高さが解ると思います。

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昼食後は山田町まで足を運びました、復興は進んでいるようですがまだ被災したままの建物も
ありました。

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防潮堤を新しくしてるところでは、今までとは違う工法がありました。

人は学んで新しい事にチャレンジして進化して行きます。

ここまで来ないと見れなかったので、貴重な体験が出来ました。

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螢曠Ε罐Δ気鵑脇始設計をしてる会社さんです、被災地は小学校の建設を急いでいた
らしく、こちらの小学校までの通学路の設計をしたそうです。

自社の強みで被災地復興に貢献できるのは素晴らしい事ですし、羨ましいですね。

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今回被災地を見て自分は恵まれている環境にいる事を改めて、感謝する必要性を感じました。

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自分も9月10日同友会青年経営者全国交流会で報告する事になりました。

ありのままを語り「過去 現在 未来」を参加した人と考えて行きたいと思っております。

明日から他地区の例会で3回事例報告させて貰います。

場を与えてくれた事に感謝をして、しっかり事例報告して行きたいです。


yosidadenkou at 20:56|PermalinkComments(0)

2011年05月03日

石巻と女川の惨状

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石巻市に行ったレポートその2です。

行きの車で、仙台の途中から助手席に座り仙台南部道路インターから光景から、津波が内陸まで来ているのが、良く解りました。

三陸自動車道の石巻河南出口から降りると、目の前にイオンとニトリなどの大型スーパーが普通に営業をしていて、海沿いでない所ではお店を再開してる所もかなりありました。
電気も復旧しているようで、車も頻繁に走っており一瞬「地方都市のインターで見る景色だな」と、感じました。

街中に入っていくと、写真のような地震で倒れている壁などもかなりあり、途中にお墓でも
墓石がかなり倒されている所もあり、震度7の凄さも垣間見ました。

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助手席から撮影したので、見にくくて申し訳ないですが、石巻市の内陸部から海の方へ向かうと、
ご覧のような景色が続いていきます。

故石ノ森庄太郎さんの作品を集めて、建てられた石ノ森萬画館は冠水してようで、
休館しており復旧にはまだ時間がかかるような、印象でしたね。

本当に一キロ範囲で景色が全く変わってしまい、「言葉を失う」とはこの事だと実感しました。

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道路も地盤沈下を起こしおり、冠水しても車が通れるよう砕石を巻いてある場所も
かなりあり晴天が続いた後、瓦礫や砕石の埃で被災者の方をかなり苦しめる事に、
なりそうな感じで、マスクを物資として届けておき少しは役に立てた気がしました。

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石巻も女川もそうですが、道路の瓦礫は撤去してあり車は通れるようになっていました。

車で、周囲を見ていると爆撃に会わない限りこのような状態にはならいのではないか?
lここだけ、戦後にタイムスリップしているような、思いも抱き津波の猛威が良く解りました。

歩道をリュックを背負い歩く男性がいて、瓦礫の中から何か探していたようです。
被災者の方だと思われます、思い出の品などが見つかればと思いました。

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このような景色が海沿いにあり、車を数百メートル走ると無傷に近い場所もあります。

ほんの少しの場所の違いで、家族や家や車を失う人がいて、一方で自宅に戻って生活を始めてる人もいる。

上手く表現出来ませんが、これが「運命の分かれ道」では、不条理極まりなく何とかならなかったのかと
強く感じました。


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写真の左側にある高台側は被害が少なかったようです。

眤罎防賊,あり、津波の時にかなりの方が避難したのが、容易に想像出来ました。

インフラ復旧は電気が一番初めのようです。

電柱が設置され、新設の高圧ケーブルが敷設されてます。

復興への歩みも、確実に進んでいます。

自然災害の恐ろしさ、街作りのグランドデザイン、自社の危機管理も含めて、学ぶ事が
数多くあった今回の石巻市でした。









yosidadenkou at 14:29|PermalinkComments(0)