後継者育成同友会運動の発展の為に

2014年03月11日

あれから3年経ちました

3月11日東日本大震災から3年が経ちました、あの日は越谷レイクタウンのアウトレットモールテナント工事で、元請け会社と打ち合わせの為駐車場に車を停めて、現地に向かいました。

突然歩くのが困難になり、父と同じで自分も脳梗塞かくも膜下出血になった?と思い回りを見るとものすごい揺れで、あゝ地震なんだ凄い揺れでレイクタウンの側にいて液状化現象でも起こるか心配になりその後、現地に着き作業員の安全を確認して作業を中止して帰社。

この時携帯電話はほとんど役に立たないで、使えたのはツィッターとPHSくらいでした。Facebookは利用者が少なく、LINEはまだ普及してなかったですね。

自宅に戻り、家族、社員、協力会社の安全を確認してテレビを見るとあの光景でした。

社内、自宅は揺れで、内装の損傷もありしたがテレビで見る映像に言葉がなくただ見てただけでしたね。

翌日から震災の凄まじさが徐々に解っていき、その後福島第一原発の事故、この時嫁は三人目の子供がお腹にいて、放射能が心配で一時的に福岡の実家に嫁と子供二人は帰宅してた事もありました。

震災が起きて、社員に聞いたのは[義援金でなく仕事で貢献出来たらいいね]と話し。

自社の経営理念である、社会資本整備の一翼を担うを実践したいと強く考えました。

そして、数ヶ月後ある社長さんのブログにこんな記事がありました。

今日これから仙台に行きます。自分が被災地に行く時は物見遊山ではなく、仕事で貢献したいと思ってました。
知り合いの方が何名かいってるのを聞いて、はやる気持ちを抑えていたいつか機会が来ると信じて待っていたかいがあったと。

企業は何の為にあるか?自社の存在意義とは何か?

深く心に突き刺さる文章でした。

当社も知り合いの会社さんから、仮設住宅の手伝いと声をかけてもらい、岩手の山田町と仙台の気仙沼におよそ二ヶ月行ってきてもらいました。

二人の社員の内、一人の若い社員が岩手のあと気仙沼に行くのは自分で構わないですか?と聞いてきました。
働く事の意義を感じとってくれた瞬間だと思います。
今や彼は新卒から5年目となってます。

二人が仮設住宅の工事から帰って来た時の顔は忘れないと思います。

復興はまだまだ途上です、被災地でない自分たちはまずはしっかり働き納税するのが最低限の義務です。

当社の仕事は電気工事という、社会インフラにとって重要な仕事です。ひとつひとつの作業がお客様の快適な生活を後押ししてる事をこれからも自覚して行きます。

3年が経ち、社員さんは随分成長してくれました。

世の中も変わりました、効率だけ、競争だけの社会ではなくなったと思います。

自分も彼らに遅れないように努力しないとですね。

東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

yosidadenkou at 13:31│Comments(1) 東日本大震災 

この記事へのコメント

1. Posted by 中村   2014年03月11日 15:27
社長が変われば

社員が変わる

社員がかわれば

会社が変わる

会社が変われば・・・

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